02


赤や黄色に染まり始めた山々が近くに見える。耳を済ませばザァザァと流れる水の音。上着を羽織らなければ少し肌寒いそこに花開院家御抱えの旅館はあった。

「ええか?ここにはうちらの他にも花開院家のお客が何人かいてはる。本っ当に大人しゅうしたったってな」

「もちろんだとも!我々がゆらくんの不利になるようなことはしないさ」

この旅館の売りは、春は桜、夏は満天の星空、秋は紅葉、冬は雪山と自然の景色を楽しみながら入れる露天風呂。町の中心部からはやや離れた場所にあるので疲れた心を癒したい人々の間ではそこそこ人気の旅館だった。…表向きは。

その裏側では人に知られたくない話など、陰陽師や裏家業を営む者達にとって密会をするにはもってこいな旅館でもあった。

「ほな、うちは準備があるさかい。家の用事が終わったらまた来るわ」

「うむ。それでは、我々はゆらくんが戻って来るまで旅館の周辺を散策しようか。もしかしたら何かいるかもしれないし」

「でも、その前に部屋行って荷物置かない?」

わくわくと期待に表情を輝かせる清継に、リクオが待ったをかける。

「賛成〜。ちょっと休もうぜ…」

夏実の肩に寄りかかって言う巻の顔色は蒼く、何だかぐったりとしている。

「朝早かったし、駅からここまで来るのにバスだったでしょ?そのバスでちょっと酔っちゃったみたいで…」

巻を支える夏実が心配顔で言い、カナも心配そうに巻を見る。

「清継くん」

部屋へ行こうと促すリクオに清継は落ち着きを取り戻して頷く。

「それなら早く部屋へ行こう。気付かなくて悪かったね巻くん」

部屋割りは女性と男性で分かれ、二部屋取ってあった。

島がサッカーの試合で欠席なのでリクオと清継でひと部屋。巻と夏実とカナでひと部屋だ。

女性陣が部屋へと入ったのを見送ってリクオ達も部屋へと入る。

室内は和室で、磨かれた机と座椅子が二脚、向かい合うよう設置されている。奥に入ると、右手側の壁が一区画窪んだ様になっており床の間になっていた。壁に掛けられた掛け軸の下には季節の花が活けられた花籠が置かれている。

リクオは荷物を適当な場所に下ろすと、障子で仕切られた窓の外を覗いた。

「うわぁ…綺麗…」

大きく切り取られた窓の向こうには赤く色付く葉。苔むした石に、石灯籠。庭の中を小川が流れ、朱塗りの橋が架かる。
そしてその橋の上には赤い番傘を差した―…

「どうかしたかい奴良くん?」

「わっ!?」

庭に魅いっていたリクオはすぐ側で掛けられた声に驚き、肩を跳ねさせる。

「おぉっ、これはまた素敵な庭園だね。さすがは花開院家御抱えの旅館だ」

「びっくりした…。今、橋の上に人が…」

「人?ん〜、僕の見た限りじゃ誰も居ないようだけど」

「え?あれ…?本当だ、居ない…」

さっきまでいたはずなのに。

赤い番傘を差した和装の人。ちらりと傘から覗いた後ろ髪は長く、頭の後で一本に縛ってある様だった。

「この旅館の客か何かじゃないか?あっ、ほら、少し分かりにくいが橋の向こう側に小道があるようだし。その先に離れがあるとか」

「…そうだね、そうかも知れない。これだけ綺麗な庭だし、僕も後で見に行こうかな」

二人は窓から離れ、その後は他愛もない話をしながら女性陣が顔を出すのを待つ。

「それにしても島くも及川さんも来れないとは残念だ」

倉田くんは何処に居るのか、滅多に顔を出さないし。

机の上で愛用のノートパソコンを開きながら清継は本当に残念そうな顔をして呟く。

「しょうがないよ。島くんは大事な試合だし、及川さんは…家の用事だって」

今回つららは連れて来ていない。青は何処かにいるかもしれないけど。僕と違ってつららは生粋の妖怪だし、陰陽師の集まる場に連れて行くのは流石に躊躇われた。

代わりに…、

《お前のことは俺が護ってやる。陰陽師何かにゃ指一本触れさせるか》

合宿の話を聞いていた夜が自ら護衛を名乗り出た。
守らなきゃいけないのは僕の方なのに。陰陽師の手から妖怪である夜を。

その上それを聞いたぬらりひょんは何ともあっさりとOKを出した。

修行の一貫だと思って行ってこい。なんなら家に上がり込んで飯でも食って来てやれ、と。

最後にはお土産よろしく〜、と送り出されたのだった。






お昼を新幹線の中でとり、それからバスに揺られること少々。一時少し過ぎに旅館に着いたリクオ達が次に旅館から外へ出たのは少し陽の傾いた二時過ぎだった。

「巻には私が付いてるから、清継くん達だけでも外に行ってきなよ」

少し休んだことで巻の体調は良くなったが、外を彷徨けるほどの元気はなく。

リクオと清継にあてがわれた部屋に顔を出した夏実が家長さんと三人で行ってきなよと提案してきた。
また、清継はゆらから夜は危ないから出歩くのは禁止と約束させられているので、出歩ける時間は昼間の今しかない。

そんなわけで仲間の事を気にしつつも清継は旅館の周囲を散策することに決めたのだった。

上着を羽織り、清継は落ち葉の掃かれた石畳の上を歩く。その後ろをリクオも続き、カナはきょろきょろと手入れの行き届いた庭を見て凄い綺麗…と感嘆とした声を漏らす。

「ねぇ、清継くん。僕、さっきの橋を見に行きたいんだけど見てきてもいいかな?」

「ん?あぁ、あの中庭の。…それじゃぁ、僕は向こうの山の方を見てくるから後で落ち合おう。もし何か見つけたら教えてくれたまえ」

「はは…、分かった。それじゃ後で。カナちゃんは清継くんと一緒に紅葉でも楽しんできなよ」

旅館の入り口で二人と別れ、リクオは部屋の中から見えた中庭に回る。

砂利と石畳で整えられた小道を道なりに行けば、紅葉に彩られた庭園が見えてくる。
その庭園は部屋の窓から見るより、結構奥行きがあり、赤や黄色、緑と色彩に溢れていてとても美しかった。

「………」

リクオは声もなく庭園内をゆっくりと歩き、小川に架かった朱塗りの橋に足を乗せる。
そして橋の下を流れる透き通った水に視線を落とし、ギクリと体を強張らせた。

「――っ」

水面に映った自分の後ろに、いつの間に近付いたのか赤い番傘が映っていた。

「おや、驚かせてしまいましたか?」

勢い良く振り返ったリクオの後ろには、赤い番傘を手にした若い男が。たいして表情も変えずにそこに立っていた。

それだけの事なのに、ゾワリとリクオの背筋に悪寒が走る。

何か嫌な感じがして、近付いてはならないと本能的に思う。

(それに…何だあの右目?)

男の右目は白い紙のような眼帯で塞がれている。それだけならまだしも、白いその眼帯には呪符の様な紋が描かれていた。

「驚きで声も出ませんか?」

一歩、近付いて来た男に、リクオの内から鋭い声が飛ぶ。

《昼!!ソイツから離れろ!》

「え…?」

《ソイツはただの人間じゃねぇ!》

リクオの内側にいてさえ感じる強い気に、夜は警戒を強めた。まだ昼間ではあるが陽は遠く、傾き出している。それを夜は確認し、いざという時の為に男と昼の間合いを測った。

「先程私をあの窓から見ていたでしょう?」

「それが…何か?」

ジッと探るような目で見下ろされリクオは一歩橋の上を後ずさる。

「貴方からは妙な気配がしますね」

「…僕、友達を待たせてるので」

良く分からないがこの男の前に夜を出してはならない。自分を守ろうと無理をして夜が出てこぬ内に、昼は夜を守ろうと踵を返しかけ…

「貴方は人間ですか?それとも…」

不意に伸びてきた右手に動けなくなった。

《昼に触れるな!》

(っダメだ、夜!)

その瞬間、己の内で妖気が膨らみ…

「…此方に居ましたか、的場の御当主」

低く圧し留める様に被さった声に抑えられた。

表に変化が現れる前に霧散した夜の気に、昼の肩から力が抜ける。

《アイツは…》

変わりに、夜の口からは驚いた声が溢れた。

「会場の準備が整ったので移動お願いします」

そこには…普段の姿からは想像できない丁寧な言葉遣い。身に付けている着物と黒い外套、履いている下駄は変わらず。現れたその人物はリクオも良く知る…花開院 竜二だった。

微かに目を見開いたリクオに、一方の竜二はリクオを見て僅かに眉を動かしただけで、続けてこう言う。

「そちらの少年は?」

「偶然ここで会ったのですが…。何か?」

「いえ。…おい、餓鬼。ここはお前が来るような場所じゃねぇ。遊びたいなら他所で遊べ」

的場と呼ばれた男の視線がリクオから外れ、動けるようになったリクオは竜二の如何にも邪魔くさいと言う態度をきっかけに、そそくさと庭園を出て行く。

その後で、リクオの居なくなった橋の上で、的場はスッと瞳を細め竜二を見やった。

「もしやあの子は貴方のお知り合いで?」

「知りませんね、あんな餓鬼。大方旅館に泊まりに来た誰かの連れでしょう。術者以外にも一般客が泊まってますから」

的場の鋭い視線にも怯まず竜二はしれっと答える。

「…そうですか」

ふっと息を吐いた的場はそこで話を畳み、行きましょうと言葉を続けてその場を後にした。




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